Mathieu St-Pierre, "Send Love", Glitch Art, 2019
"なにものか"のマインドー誤作動のなかの美、秩序、そして真実。
Mathieu St-Pierre Online Glitch Art Solo Show

「ここ」と「今」
パンデミックは「裂け目」として機能する。それは、私たちのふつうの生活、ふつうの思考、普段通りの行動といったものを断ち切る。この破損部にある今だからこそ、直視しなくてはならない―何よりもまさにこの生活・思考・行動こそが、パンデミックを、そして、私たちが現に直面しているあらゆるカタストロフィを誘引したのであり、コロナ禍はその「津波」の到来を告げる微細な第一波にすぎないということを。いま、変化のための行動を起こすのか、それともあい変わらずビーチにゆったり寝そべって、手をこまねいているのか。アメリカ総選挙で私たちが目の当たりにしたのは、凝固しきった対立関係は、ただ存在という建造物の一つ上の階に移されたにすぎず、結局車輪は今までと変わらず回り続けるということ。そして、この隔離状態が終わりを迎え、あの場所へ戻る日を待ち望んで……いや、どこへ? 同じ場所! 同じ「ビーチ」じゃないか。

今こそ、穴を―壁に空いた穴、そして私たちの精神の、ガチガチに張り巡らされた格子に通ずる穴―を求めて、アートに向き直るべき時だ。なぜなら、その発生の時からじつに3万年というもの、アートの真の機能とは常に、リアリティのなかに新たな視点を見出し、既存の秩序に裂け目をもたらすことだったのだから。私たちがデジタルアートに取り組むのは、そう、むろん迫られてということもあるが、おそらくそれと同時に、その手軽さ、スピード、近さといったものが、今まさに必要とされているからでもある。デジタルの次元におけるArt Spiritの探求に乗り出すべく、私たちはGlitch Artに目を向ける。というのは、非常に狭い意味で言うならそれは、意外性、妨害、変化、誤作動……といったものの容認を扱っているわけだが、これらはすべて、精神が自己変容し、自滅を回避するために不可欠な手続きだからである。

ボーダーレスなデジタル次元へと漕ぎ出した、願わくば長旅になるであろうこのオデュッセイアにおいて、はじめに私たちが出会ったデジタルアーティストMathieu St-Pierreを紹介しよう。彼から始めることにしたのは、彼が良い人であり、先駆的なアーティストだからだ。それは、私たちがすでに制作したビデオを一目見てもらえればわかるだろう。ビデオの中で私たちの話題にのぼったのは、彼の人生と仕事、ならびにNeo Tokyo、Face Glitches、 “Predator”、ポルノグラフィ、暗黒舞踏、そしてラカンの壺である。Mathieuはカナダで生まれ、もう何年も前に韓国へ移住している。はじめはビデオのグリッチに取り組んでいたが、のちスパム、コラージュ、音楽を用いた実験的試みや、グリッチの新技術に移行したのだという。8万を超えるメンバーを有するFacebook 上のグループGlitch Artist Collectiveを立ち上げるとともに、より広いアーティストコミュニティとも連携を保ち、その時々における傾向と変化を観察し続けている。いま幕を開け、そして今後もこの場に在り続けるであろうこのデジタル展示では、ここ10年の彼の全主要作品を公開する。これらをビデオの中でスライドショーとして流し、それとともに展覧会のウェブページへのリンクをはったPDFカタログを提供する。

最後にもうひとつ。芸術作品を購入するのは、なにもリビングの壁に飾るためだけではない。言葉の綾でごまかすのはやめにして、こう言ったらいいだろうか。選挙での投票は結局、人々をこの反復の車輪から解き放ち、新しい未来に導いてくれることはないのだとわかったいま、良いアーティストと、彼らを支える人たちへの投票ということを考えてみてほしい。少なくとも、こちらにおいてはあなたの票は確実にカウントされるし、私たち皆のためのオルタナティヴ・リアリティの基盤をつくるのに役立つことになる。どうやらArtがいま―腕まくりして―目論んでいるのは、こういうことらしい。


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